福住伸一(理化学研究所/東京都立大学)

 

昨年9月に無事に還暦を迎えることができました。まぁ、2周以上を目標としている私としてはまだ半分でやっと折り返しかどうかというところなので、特にどうということもないし、家族に「お祝いして」、と要求しても、まだ早い、とか言われるし…。まぁ、数年前にちょっと病気をしたし、運動機能/認知機能の低下は否めませんが、とりあえず元気なのでしかたがないかと。これまで大きな病気や怪我なく生きてこられたのは、丈夫な体に生んでくれた親のおかげでしょう(自分の生活スタイルだけを見ると、とても健康的とは言えない)。

 

自分が還暦ということは同級生も還暦で、今年の1月に卒業以来一度も行なってこなかった高校の還暦同窓会が開催される予定でした。経年劣化が激しいだろう同級生と会えるのを楽しみにしていたのですが、コロナ禍で残念ながら無期限延期が去年の8月に決定となりました。実はこの同窓会で当時のバンド仲間と演奏をするという企画があったのですが、それも流れたところ、同窓会幹事から、同級生向けに無観客ライブ配信やろうと提案を受け、急遽練習を開始しました。仲間の一人は誰もが知っている歌手の武道館コンサートのメインギターを担当するぐらいのプロのミュージシャンとなっていて、その彼を中心にLINEで練習。ドラム担当は鬼籍に入ってしまったので、そのあたりはコンピュータに助けてもらいましたが、コロナ禍ということで集まっての練習は1度だけ。何とその時会ったのが42年ぶり!私はキーボード担当だったのですが、演奏するのも卒業以来42年ぶり。指など動くわけもなく、どうしたものかと悩みつつも何とか形になりました。演奏曲は、高校の文化祭でも演奏したEaglesのHotel CaliforniaとかEric ClaptonのLaylaとか、当時の曲でしたが、その他に、「還暦の歌」と言われている、竹内まりやさんの「人生の扉」という曲を最後にやりました。「気が付けば五十路を越えた私がいる」の『五十路』を『還暦』に置き換えて歌い、同級生向けにYouTube配信したところ、多くの友人から、「泣けた」と言ってもらい、うれしかったのとみんなそれぞれ苦労してきたんだなぁ、ということを実感しましたね。

 

と、数日は余韻に浸っていたのですが、そのあとは目標がいつになるわからない同窓会ライブ。一度うまくいったものだからみんな調子に乗ってハードルがあがり、走り高跳びぐらいの高さになって、日々、練習となっています。

 

年をとってからも運動は大事だと考えているので、昔からやっているテニスは続けていても、老化と病気が相まってなかなかボールがうまく見えない。止まっているボールならば何とかなるかとゴルフをやっても、昔は力で何とか飛ばしていたけれど、もう肩や腰が回らない、ストレスが増える、と、あまりプラスには働いていないような気がしているのと、人生の先輩から、「今のうちから家の中で出来る趣味を探しておきなさい、動けなくなってからだと遅いよ」と重みのある言葉をいただきました。

 

そんなときに今回の演奏会。キーボードやギターは指を動かすので、ボケ防止にはよいということを、この還暦のタイミングで気づくことができ、老後(この老いた後、という言葉に違和感はあるのですが)の趣味にはちょうどいいかと思った次第です。テニス仲間からは、240歳ペアを組もうという話をしているのですが、5人合計600歳のバンドというのもある意味迫力があっていいかもしれないので、60年後が楽しみです。

 

第13回リレーエッセイ画像