国際化計画、無事に第9回を迎えてしまいました。何をもって無事と言えるのかはわかりませんが。毎回書くたびに自分の恥をさらけ出し、心のかさぶたを剥がして再出血しているので無事ではないのかもしれませんが。でも今、私はここに生きています。
国際化計画を始めたころは英語がペラペラに話せるようになって、海外の学会で活躍できたらいいなー、と漠然と思っていたのですが、図らずも国際化計画というフレーズを何度も意識するうちに、国際化というのはそういうものではないだろう?という自分の心の声と向き合うことになりました。
私は研究者としてのディシプリンを実験心理学分野で受けてきて、その研究手法を学習支援や就労支援に適用し、臨床領域で研究者として仕事をしています。日本にいると、アメリカやヨーロッパの教育システムや障害支援制度のここがすごい、ここが合理的、といった良い側面の話をよく目にします。若いころは、外国すげーな。日本の教育もがんばらんとなー。などと思っていました。ところが、最近では世界情勢の大きな変化もあり、どうも欧米先進国が日本より優れているというわけではないなと感じています。いや、そもそも欧米先進国というクソでかい主語を用い、良い悪いという浅はかな二項対立で考えている時点で完全にダメなんですが。でもまあこらえてください。それだけの話ではないのです。
自分には妹がいて、ハワイの地で子育てをしているのですが、子育てや生活の話を聞く限り圧倒的に日本の方が条件がいいです。ハワイといえば南の島の楽園のようなイメージがありますが、私の印象は異なります。政治的な問題について語るには、このコラム(学会の公式サイトで個人が書いている)は相応しい場ではないと思うので書きませんが、貧富の差や人種差別などなどなどなどなどなどまあいろいろあります。貧富の差は働き方の多様性、人種差別は価値観の多様性、みたいな言葉に絡めとられて薄められ、マイルドにされてから情報として日本に住む私たちに届いているのではないかなと思います。全然違う意味の言葉なのにね。
英語を英語のまま読めると、そういうウォッシュされてるものではない生の情報に触れることができる。だから、英語の勉強は大事だよ。と自分の子どもたちには伝えてきました。が、今はそれもちょっと違うなと思います。だって、自分で英語のニュース記事を英語で読んでもそういう生々しさはないですもんね。もっといろんな情報に触れないと、特に違う国の違う文化の人たちの実際の感覚はわからないのでしょうね。
少し話は変わるのですが、私の研究分野だと「合理的配慮(Reasonable Accommodation)」というひとつのテーマ(まぁテーマと言ってもいいでしょう)があり、イギリスやアメリカのそれは日本より進んでいるという印象があります。日本でもこの合理的配慮という言葉は多くの人に浸透してきているのではないかと思います。
対話が重要 障害のある人への合理的配慮
https://www.gov-online.go.jp/useful/202402/video-278515.html
おっと、政府のサイトのリンクを貼るという政治的ムーブをしてしまいました。でもこの程度の範囲は大丈夫かなってことで。
で、合理的配慮はイギリスやアメリカの方が進んでるというイメージの話に戻ります。進んでるイメージはあると思うんですよ。論文でもイギリスやアメリカの良い仕組みが紹介されていたりしますし。でも、妹の話を聞く限り教育や就労の現場では合理的(reasonable)という言葉が「訴訟されないように自己責任とするための外堀埋め」として運用されているように思います。まあ、自分が見聞きした範囲の数ケースですから、結論づけることも一般化することもできないのですが、印象としてはかなり強いものがあります。私の見聞きする学校は現地でも比較的いい環境かついい条件の学校なので、そういうところですらそうなのか、という印象です。
話を戻します。個人的には国際化って本当によくわからないなと思っています。いろんな人種、いろんな歴史、いろんな文化、いろんな価値観、などなどがあるよね〜というレベルで留めてはダメだということはまあわかります。そのなかで、価値観をどう相対化できるのか、自分がどういう役割を果たせるのか、長期的視点で多くの人にとって良いことは何か、などと考えられるようにならないとな、と思います。
近年、心理学の分野では「WEIRD問題」というテーマが話題になっています。
WEIRD 問題とは、
• Western(欧米) の
• Educated(高学歴) で
• Industrialized(工業化) され
• Rich(裕福) な
• Democratic(民主主義) の
環境で生活している人々に対して採られたデータで「人間の行動」を調査し、結果を一般化している現在の行動科学に対して提起された問題意識です。
この用語と問題提起は、Henrich, Heine & Norenzayan (2010)の論文で広まりました。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20550733/
ただ、この問題意識と同様の指摘はそれより前にもあったようですが。
私たちは偏っています。でもなかなかその偏りに気がつかないですよね。私なんか、選挙の前とか自分のTwitter(現X)のタイムラインではめちゃくちゃいろんな人から応援されてる候補者が、実際には圧倒的に完敗してるとかよくありますからね。え?圧勝じゃなくて?完敗?的な。私のタイムラインが偏ってるんでしょうね。SNSに限らず、テレビや雑誌など、目に触れるものを自分で選んでいるとそれなりに偏りは生じますよね。
このフィルターバブルに包まれ、エコーチェンバーな環境で暮らす今の世の中で、自分の考え方や行動の偏りに気づくのは難しいように思います。偏りが悪いとか、そういうことではなく、そこを自覚することが難しいという話です。
国際化というのは、自分という存在が、偶然にいまの世の中で、この環境で成立しているということを自覚することから始まるのではないかと今は思っています。
ポエムになってしまいました。いや、ポエムで何が悪い。ポエムは良いものだ。ポエムをネガティブな意味で使わないようにしていきたい。詩になっていないこの文章の内容への批判については甘んじて受け入れたいと思います。
ポエム度:★★★☆☆
国際化度:★★☆☆☆
モヤモヤ度:★★★★★