藤田欣也(東京農工大学)
みなさま、新年明けましておめでとうございます。例年にないずっと自宅でのお正月、いかがお過ごしですか。コロナ禍の中、私たちの生活を支えてくださっているエッセンシャルワーカのみなさまに感謝申し上げます。
コロナ禍でオンライン飲み会が流行しましたが、ご多分にもれず、私も大学時代の同期数人と定期的におしゃべりを楽しんでいます。もちろん一長一短がありますが、海外にいる友人ふくめ手軽に集まれるのはオンラインならではでしょう。どうしてコロナ禍以前にもっと流行らなかったのか、今にして思えば不思議な気がします。同級生といえば、一昨年春に小中学校時代の友人に誘ってもらってLINEグループに加わりました。時おり他愛のない日常の話題をやりとりする程度ですが、小学生の頃のあこがれの人のことばには今でも少しドキドキします。
ことばといえば、最近、カタカナことばって面白いなと改めて感じています。例えば、カルチャーということばを辞書で調べると最初に文化と書いてありますが、なんとなく文化よりも少しカジュアルな感じがします。コミュニケーションは、みなさんご存じのように英語のCommunicationよりも限定的な意味で使われています。デザインもそうですね。なるほど、カタカナことばは元の外国語よりも限定的なニュアンスで使われる場合が多そうです。この傾向は、誰かが使った意味が社会に広まって生じるのでしょうか。誰か詳しい方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
ところで、私たちにとっていちばん身近なカタカナことば、ヒューマンインタフェースが日本独自の表現であることはみなさんご存じだと思いますが、その起源や込められた思いはご存じでしょうか? 実は、最近、ヒントとなる文章を発見したので、近いうちに学会HPに掲載したいと思っています。なんといっても我らが学会の名称ですからね。どうぞ、楽しみにお待ちください。
ことばは思いを人に伝えるためのシンボルなので、人と人をつなぐインタフェースと言ってよいと思います。ただ、使いこなすのはなかなか簡単ではないとも感じています。そうすると、コマンドラインインタフェースがGUIに変わったように、いつかコミュニケーションが現在のことばを介したものから大きく変わる日が来るのでしょうか。どんな世界かまったく想像もつきませんが、きっと、今よりも容易にお互いを理解しあえるようになっているのでしょう…. などと、遠い未来を空想してみるのも良いものですね。
まずは今年のシンポジウムで楽しくことばを交わせることを願いつつ