狩川大輔(東北大学)

 

家族を連れて、市内の公園に車でピクニックに出かけた時のこと、いよいよ目的地の公園が目前に迫った交差点で、「右折です」という地図アプリの音声ナビに従って、私は車のハンドルを右に切りました。しかし、正解は左。右折した結果、ずいぶんと遠回りになってしまい、私は助手席や後部座席の家族からの非難の声にさらされました。

 

「ちょっと、パパ、間違えないでよ」
「パパはいっつも間違えるんだから」
「なんで公園が左に見えてるのに右に曲がるかな・・・」

 

私の言い分を書かせて頂くと、地図アプリが右と言うのだから右側に駐車場があるのではないかと思って右に曲がったのですが、でも言われてみれば確かに、「左側に公園が見えている」という目の前のリアルな景色よりも、地図アプリの音声ナビが示す一種のデータを何のためらいもなく信じて意思決定している自分に気づき、ハッとさせられました。

 

考えてみると、普段の仕事の中でも、データを頼りに、実際には自分の目の届かないリアルな世界を分析していることがしばしばあります。データの重要性がますます増している昨今の世の中で、ひょっとしたら私たちは(私は?)リアルな存在が放つメッセージを捉えることが下手になってしまってはいないだろうかと、ふとそんな不安が頭をよぎりました。私は主に航空システムの安全の研究に取り組ませて頂いているのですが、かくいう私も、コロナ禍が始まって以来もう1年以上の間、文字や数字になったデータを見ることはあっても、轟音を立てて飛び立つ飛行機も、その安全を守るために働いている人々の姿も、乗り込んでいく多数の乗客も全く見ていません。全くのゼロです。そのことにはたと気づき、後日、ネットで飛行機の動画を探して見てみました。ただ飛行機が飛んでいるだけの他愛もない動画でしたが、何か忘れかけていた大切なものをいろいろと思い出したような気持ちになり、1人で勝手に妙な感動を覚えました。

 

毎日の仕事の中でもPC画面上の「データ」と向き合うことが多いのですが、でもいつもその先にある「リアル」に思いをはせることを忘れないでいたいと改めて思いました。そして、それに加えて、次こそは素晴らしいナビゲーションスキル(?)を家族に披露して、父親の威厳を取り戻せるように頑張ろうと心に誓いました。

 

第11回リレーエッセイ画像