小谷 賢太郎(関西大学)
私は数年前からいちじくを育てている。今シーズンの収穫は終了した。気温が低下したので、おそらく熟さずに枯れゆく実がいくつか残っているだけである。
私の父は金属加工を主とする町工場を経営していた。幼稚園のころから工場の中で砂鉄を集めて回ったり、ボール盤で鉄板に穴をあけたり、小学校に上がると勝手にそこらじゅうを溶接してくっつけたり、アセチレンで鋼材を溶断して遊んでいた。防護もしないので、溶接の光で目がやられてしまい、朝になったら目が充血して涙が止まらなくなるが、それでも鉄を使った工作が楽しくてずっと工場に入り浸っていた。中学くらいまでは父の仕事を継いで職人になろうと思っていたのに、いつから路線変更したのだろうか。父が亡くなってからは工場をたたみ、私は大学の教員になってしまった。
その工場の資材置き場の片隅に大きないちじくの木があり、秋になるとたくさんの実をつけた。私はいちじくが大好きで、手の届くところはその実をすべて食い尽くし、届かないところは職人さんに肩車をしてもらって実をもいで食べた。思い出補正が入っているので、とてもおいしかったと記憶しているが、実際は手入れもしていなかったはずなので、水っぽいいちじくだっただろうと推測する。
数年前に思い立って、いちじくを栽培し始めた。在来種ではなく、海外産のいちじくである。とにかくいちじくは超ツンデレである。穂木を購入し、それを挿し木により根付かせるところから始まる。その際の土の配合が重要で、ネット上にはいろいろな情報が飛び回っている。根付くと今度は鉢に移す。これも時期が悪かったり、鉢のサイズがまずいとそのまま枯れてしまう。いちじくは日光と水を好む。夏の暑い日に一日でも水をやり忘れたら、いちじくはすべての葉を落とし、そのシーズンの収穫は不可能となる。強い雨があたると地面の土が葉に跳ね返ることで、そこからカビが発生して、葉を落とす。なので、天気の悪い日は雨雲レーダーをにらみ続けて、降雨が激しくなりそうになると早く家に帰って軒下に鉢を移動させなければならない。天敵であるカミキリムシが幹にとまっているのを発見したら、すぐに駆除して、卵を産んでいないか、入念に虫眼鏡で幹をチェックしないといけない。枝の成長や実のサイズに応じて肥料の配合比率を随時変えなければならない。実を成熟させるために窒素成分の比率を下げるのである。(窒素の入っていないリンカリ肥料なるものが存在する。)これだけ頑張って育てても、数年間実が全くつかないケースはよくあることである。でも、適当に育てていても突然実のなることもある。そしてその実が信じられないほどおいしかったりするのである。原因は全く分からない。
いちじくは収穫すると追熟はしない。したがって、樹上完熟が必須となる。また、元来いちじくの実は振動に弱いので流通に向かない。なので、在来種の典型的ないちじくならスーパーでも容易に購入できるのだが、海外産のいちじくを一般人が買って味わうことはとても困難なのである。なので、本当にうまい海外産のいちじくを味わうには自分で育てる必要があるのだ。なんとか、実験計画法を取り入れて最適な栽培法を確立できないものか。分散分析を生み出したフィッシャーだって、最初は作物の効率的な栽培のために統計学を発展させたと聞く。しかし、おいしいいちじくをたくさん実らせるためのモデルを実験的に得るためにはあまりにも要因が複雑で、とても鉢の量や時間が足らない。大学教員をやめていちじく農家になればいいのかもしれない。
今我が家にまだ熟さずに残っているいちじくの実はフランス産の黒果種でビオレソリエスという最晩成種のいちじくである。そのまま放っておこう、と思っていたのだが、試しに一つとってみて割ってみた。やはり全く熟していなかった。若干ばかばかしいと思いつつも、来年も一生懸命世話を焼くから、食べきれないほどおいしい実をつけてねと心の中で声をかける。