黒田知宏(京都大学 医学部附属病院)

 

一介のHI研究者だった私が医療の世界に引っ張り込まれてほぼ四半世紀がたった。今医療業界は空前のDXブームである。DX・DXと繰り返し聞かされると、茶色の小瓶しか浮かんでこない発想の貧困な私も、遂に京都大学医学研究科附属医療DX教育研究センター長などという役職を与えられてしまった。地位は人を作る、というより、肩書きは仕事を連れてくる。様々な医療系の学会や企業に加えて、最近は霞ヶ関や永田町からもDXに関することで呼び付けられる。異口同音に「DXするにはどうすればいいでしょう」と毎日のように聞かれる。こちらも親身になってお話を聞くのだが、聞けば聞くほど何から手をつけてどこから一緒に考えさえて頂けば良いのやら判らなくなるばかりである。DXの途は茨の途だ。

 

余りに辛いものだから、五月の半ばから六月の初頭にかけて、北欧へと逃げることにした。

 

鬱陶しい梅雨の日本と違って、夏至に向かう時期の北欧は爽やかな晴れの日が続く最高の気候だ。アイスランドでは吹雪に見舞われるなど、必要以上に寒かったのだが、それはそれで頭を冷やすには最高だった。とはいえ、厚生労働科学研究費をいただいてのれっきとした業務。2週間で北欧十字を掲げる五ヶ国と、世界最高のeHealth国家であるエストニアの都合六ヶ国を回り、各国政府のeHealthの責任者にDXについて教えを請うてきた。毎日が夢のように楽しい時間で、とても刺激的な議論が出来て、すっかり元気になって帰ってきた。

 

帰国して一月、春の学会ラッシュからようやく解放されて、そろそろ研究成果を纏めねばならぬぞと、三連休を使って会議の記録を改めてテープ起こししてみた。DX政策や制度についての議論だったはずなのに、クリック数がどうとか、画面展開がこうとかUXの議論ばかりが聞こえてきた。UXを向上したい医療行為や医療に関わる行為があって、情報通信技術を使うと達成できそうなことを関係者みんなで確認して、UX向上の障害になりそうな制度や法律があれば軽やかにそれを変えていく、そんな政策決定のプロセスを楽しそうに疑似体験している自分の声も聞こえてきた。何のことはない、北欧の医療DXが楽しかったのは、その本質がUX改革だったからなのだ。デジタルはUX向上の道具の一つでしかない。

 

飜って我が国のDX政策は、DXが目的になっている。現在の制度をデジタル空間上に正確にまちがいなく複製することに血道を上げている。結果としてUXが損なわれることも厭わない態度だ。元HI研究者にとっては身を引き裂かれる思いである。UX向上を目的にしないDXはどうも体に悪くて仕方が無い。

 

件の茶色の小瓶のホームページには、「DXは毎日飲んでも大丈夫ですか?」という問に、「用法・用量を守って飲んで頂ければ問題ございません。暫く服用しても症状がよくならない場合は服用を中止し、医師・薬剤師又は登録販売者に相談してください。」と書かれている。DXを闇雲に服用するのを止めて、UXを向上するのに適切な用法・用量を見極める時期に、少なくとも我が国は来ているような気がしてならない。

 

さ、茶色の小瓶を飲んで、今日ももうひと頑張りしますか。

 

図1 京都大学医学研究科附属医療DX教育研究センターのロゴとマスコット

図1 京都大学医学研究科附属医療DX教育研究センターのロゴとマスコット

図2 フィンランド Kuivasjarviの夏の風景

図2 フィンランド Kuivasjarviの夏の風景

図3 エストニア保険省の入るビル

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