岡耕平(滋慶医療科学大学大学院医療管理学研究科)
「あなたは何の専門家なのですか?」と聞かれて答えに詰まることがある。これは本来、研究者としては良くないことなのだろうと思う。私は認知心理学分野の研究者だということにしているが、人間の認知そのものを研究対象にしているわけではない。方法論的認知心理学者という言い方があるとすればそれかもしれない。私の研究は、教育・福祉・医療において、人間と環境の相互作用から生じる問題の解決をテーマにしている。それだと何でも当てはまるのではないか?思われると思うが、実際たいていの事柄が自分の研究対象になる。私は、自分が生活する中で違和感を覚えたこと、面白いと思ったことを研究の対象にしている。そのため、ヒューマンインタフェース学会員になって10年以上経つが、いまだにヒューマンインタフェース学会内での自分の立ち位置がよくわからないままである。ただ、人間と環境の相互作用の問題を扱っているという点で、広義のヒューマンインタフェースの研究をしているのではないかと嘯いてここまでやってきた。
ここまで書いて、このエッセイのタイトルの話題に1ミリも近づいていないことに焦りを感じている。ヒューマンインタフェースについて書かなければならない。私は研究テーマの関係で、多くの子どもたちと接点がある。自分も3人の男児を育てている。子どもに関していろいろと問題視されるのが、YouTubeである。多くの大人曰く、「子どもがYouTubeばかり見ていて勉強をしない」「あんなくだらないものばかり見て、時間を無駄にしている」「スマホ画面ばかり見ていないでもっと体を動かさないとダメだ」ということになる。私も同意見である。しかし、別の意見も持っている。確かに問題も多いが、YouTubeほどの教材もなかなかないぞ、という意見である。例えば、私は最近自宅で筋トレをしながら「週末縄文人」というYouTubeチャンネルの動画を見て、多くのことを学んでいる。
「週末縄文人」では、同じ会社に勤める2人の同期サラリーマン(縄さんと文さん)が週末だけ縄文時代の生活をするという企画の動画をアップしている。火おこしから始まり、住居づくり、土器づくり、石器づくり、などと人類のインタフェースの進歩を地で体験していくというものである。これが面白い。私たちは、火おこしも住居づくりも土器づくりも石器づくりも「やり方」を知っているし、ネットで調べることもできる。でも「道具ゼロ」の状態から体験したことはないと思う。私は初めてこの動画を見たとき、彼らが手で水を掬って運んでいるシーンを見て「なんて効率が悪いことをw」と笑ってしまった。しかし考えればわかるのだが、土器が発明されていないとそもそも水を汲む器がないのである。もちろん、人類はそれ以前に植物の葉や殻を器として利用してきたのだろうが、そう都合よくそういうものが採れるわけではない。彼らが土器を作れるようになるまでに数ヶ月を要する(そのあたりの苦労は是非動画を見て確認していただきたい)のであるが、その間彼らはずっとその非効率的な方法をとらざるを得ないのだ。そして土器ができると、作業効率が劇的に上がる。人類はこうやって道具を発明し、インタフェースを工夫することで進歩してきたんだなと心の底から感動した(元ヤンキース松井秀喜選手風に言うならば from the bottom of my heart な感じだ)。そりゃ歴史の授業で学んだ「古代」の期間が長いわけだわ…、と改めて思う。
他にも感動したシーンとして、磨製石器の製作がある。私は子どもの頃、社会の授業で打製石器と磨製石器を知って「磨製石器いらんやろ。切りにくいし。別に打製石器だけでいいやん」と思っていた。しかし、動画を見て35年越しに合点がいった。何かを作るためには木を切らないといけないのだが、打製石器では木が切り倒せない。斧がわりにでもしようものなら石が砕けてしまうし、ナイフのように使うと刃がこぼれてしまう。あぁ、だから磨製石器が必要なのかと思った。from the bottom of my heart。
あまり書きすぎるとネタバレになるので、紹介はこの辺りにしておこうと思う。ともかく「週末縄文人」にはヒューマンインタフェースを考える上で大切なことがたくさんある。研究のヒントまみれの動画だ。子どもたちが動画にハマる理由もわかる。子どもたちも動画から学んでいるのだ。「ところで何の動画見てるの?」と子どもに見せてもらったら、マンガのネタバレを見ていたので、「やめなさい…」となった。何を学んでいるのか。
COI:本エッセイの内容に関して、報告すべき利益相反はありません。ただのファンの1人として「週末縄文人」チャンネルを激推しさせていただきました。