山本 景子(東京電機大学)
実家には両親が大切に保管している私の漢字学習帳がある。小3で習う漢字を使って自分でも例文を作ることで使い方も覚えましょうというコンセプトのものだ。そこには「ねこに服を着せる。」「ねこと九州に行った。」などとびっちり「ねこ」の例文が書かれている。両親はそれを見てけらけら笑っている。どうやら幼少期の私は、学習帳の意図に反して、効率的に例文を作成するために、自分の大好きな猫を毎度登場させるシステムを採用していたようだ。
ずっと団地住まいだったので、そんな大好きな猫を飼えぬまま大人になった。そして大人になってからも団地住まいが続き、すっかり猫を飼うという夢を忘れていた。そんな中、突然うちに猫がやってきた。コロナ禍の諸事情により前の飼い主から引き取らせてもらうことになったその猫は、ミルクティー色のスコティッシュフォールドのメスで、当時3歳だった。このエッセイを書くためにパソコンに向かっているすぐ横で、6歳になった今日も家人と遣り合っている。
どうも家人は「ねこのきもち」を汲み取るのが苦手なようで、ただすれ違っては「にゃー」と威嚇され、ご機嫌取りに伺っては「うにゃーにゃー」と拒絶されている。気がついたら、家人にだけやたら鳴く猫ができあがった。なぜ家人にだけ鳴くのだろうとふたりを観察していると、家人はうちのねこの空気を読まないばかりか、やたらと話しかけているではないか。
本来ネコは大人ネコ同士では滅多に鳴かない。野生からイエネコへ家畜化され、人と暮らすようになった結果、ネコは人に対して鳴くようになったと言われている。つまり、「話が通じない」相手に合わせて仕方なく「鳴いている」のである。もっと言えば必死に「鳴き分けている」そうだ[1]。ただ残念なことに、その必死な鳴き分けを人は正しく理解できないという。動物と話せるようになると言われる「ソロモンの指環」があれば、家人もうちのねこも苦労しないのにといつも思う。
猫飼いの中では常識的な話だと思うが、猫はちゃんとヒントをくれている。鳴き声だけでなく耳やしっぽの動き、目線や瞳孔の開き具合などを組み合わせれば、ある程度の「ねこのきもち」はわかる。ネコはヒトやイヌに比べて表情筋が少ないそうだが、うちのねこはどうも私が家人とごはんを分け合って食べていると、だんだんと眉間のあたりがもこっとしてくる。「なぜ私にはくれない」といわんばかりの表情だ。
ちなみに、ネコは勝手気ままとよく言われるが、近年の研究によるとネコの方もちゃんと飼い主の表情や感情、行動を読み取ることができると報告されている[2][3]。ヒトやイヌにあると言われる、他人の行動を見て自分の行動を変える「社会的参照」がネコにもあり、いわゆる「空気を読む」ことができるそうだ。これらの研究は特定の実験条件下での結果であり、飼い主との関係性やタスク内容などによって変わるかもしれないが、ヒトやイヌとそこまで変わらないコミュニケーションがネコにもできる可能性があるということだ。
愛くるしい見た目と動きが評判の「LOVOT(らぼっと)」も「声」を発することができる。動物の発話のしくみをシミュレーションしているというシンセサイザーで、ユーザの言葉や自身の内部状態に応じてリアルタイムに音声を生成しているそうだ。「家族型ロボット」と謳うだけあってよく作り込まれているこのLOVOTとうちのねこ。両者の「本体価格」はほぼ一緒だ。私にとっては家人と遣り合ってるうちのねこが断然かわいいが、油断するとどこでも粗相しちゃうのはご遠慮願いたいものである。
[1] ”What’s in a Meow? A Study on Human Classification and Interpretation of Domestic Cat Vocalizations”
[2] ”Social referencing and cat–human communication”
[3] ”Man’s other best friend: domestic cats (F. silvestris catus) and their discrimination of human emotion cues”