米村 俊一(芝浦工業大学工学部)
合理か人情か
日本の政権党である自由民主党(略称:自民党)において9月27日に総裁選挙が行われ,石破茂候補が党総裁に選出されました。この選挙では最初の投票結果で決着がつかず,得票数上位二者(1位:高市早苗候補,2位:石破茂候補)による決選投票が行われました。この決選投票の直前に5分間の演説が設定され,二人の候補それぞれが決選を勝ち抜くために熱のこもった演説を行いました。初選で1位の高市候補は自分が総裁になったらどんな政策を実現したいのか5分間を超えて盛りだくさんに説明したのに対し,2位の石破候補はこれまでの党内での不義理を謝罪することから始めて必ずしも合理的ではない「人情に訴える」演説を展開しました。この直後に決選投票が行なわれ,結局,人情に訴えた石破候補が逆転勝利して党総裁に就任しました。興味深かったのは,この決選で石破候補に投票した議員への聞き取り調査で,「私は,あの5分間の演説で最終的に(自分の行動が)動かされました!」という証言でした。つまり人間には,ここぞという場面においては合理的・説明的なコミュニケーションよりも人情に訴えるコミュニケーションに大きく影響されて自分の行動を決めてしまうという非合理性があるということです。
我々も,ここぞという場面で自分の行動を決める時,最後の決め手が「合理」よりも「人情」であることは意外と多く,社会全体もそのような非合理の中で動いていくことが少なくないと感じます。「明確な論理展開がすべて」である研究開発の現場でも,自分の行動を決めるきっかけは必ずしも「合理」ではなく「人情」であることを多くのエンジニアは実感しているのではないでしょうか。自分がやるべき仕事はいつも山積みでいくつものタスクが同時並行で走っており,コレを片付けたら次はアレ,アレを片付けてもさらに新たな仕事がどんどん降って来ていつもパンパンの飽和状態。降って来る仕事の中身も,重いのやら,軽いのやら,締め切りも種々雑多。この記事を読んでいるみなさんも,日々の忙しい生活の中で新たな仕事を頼まれた場合,もし依頼人と親しい間柄であれば「あの人から頼まれたんじゃ仕方がない,やるかぁ!」と渋々でも仕事を引き受けた経験があるだろうと思います。自分が追い込まれたり不利な立場になったりすることが分かっていても,あえて頼まれた仕事を引き受ける。これはまさに,自分の行動を決める上での最後の決め手が「合理優先」ではなく「人情優先」であったということでしょう。同じような状況で親近感をあまり感じない上司や同僚から仕事を頼まれた場合には,仕事の稼働量を合理的に判断して仕事をあっさりと断るかもしれません。
合理と人情の組織論:ゲゼルシャフトとゲマインシャフト
社会学者フェルディナント・テンニース(Ferdinand Tönnies/1855~1936)は,人の集団つまり組織をゲゼルシャフトとゲマインシャフトに分類しました。ゲゼルシャフトとは利益社会における「機能体組織」を意味し,例えば生産機能に特化した企業内組織など特定の目標を達成するための集団を指します。一方,ゲマインシャフトは地縁/血縁/友情など,自然発生した社会的集団である「共同体組織」を指します。つまりゲゼルシャフトは「合理優先」で機能設計された集団,ゲマインシャフトは「人情優先」で自然発生した集団と言えるでしょう。
例えば企業は何等かの利益を得るために構築されたゲゼルシャフト組織であり,人為的に決められた契約書(例えば雇用契約など)によって社員の行動規範が決められています。その一方,企業の職場などで実施されるレクリエーションや懇親会などは契約書でメンバの行動ルールが決められているわけではなく,いわゆる「有志」が自然発生的に集まって,集団内でのコンセンサスを通じて拘束力の弱いルールを決めています。これがゲマインシャフトですが,ゲゼルシャフトとして活動している就業時間帯であっても,休憩時間などに仲間がローカルに集まって一過性でゲマインシャフトとしての活動を行うこともあります。つまり,ゲゼルシャフトとゲマインシャフトは常に二重構造で混在しており,たとえゲゼルシャフトとしての判断や行動で悩んだ場合であっても,ゲマインシャフトでのつながりが強い人に本音を打ち明けながら相談を持ちかけるのが現実でしょう。
このようにゲゼルシャフトとゲマインシャフトをうまく使い分けることができればその職場は働きやすい場となり,そうでない場合には人間関係がギクシャクして何かとストレスの多い働きにくい場となります。研究開発の現場でも,メンバ同士が初対面の時にはゲゼルシャフトとしてチームがスタートしますが,互いに懇親を深めてゲマインシャフトとの使い分けができるようになるとチームの一体感が醸成され,些細なことでも周囲に相談しやすくなってより独創的なアイディアを皆で育てようとする環境が生まれてきます。常にチャレンジが必要とされる研究開発の現場においては,たとえ小さな疑問でも周囲と相談でき,たとえ失敗してもリカバーできるような心理的安全性が求められます。周囲と相談できず,失敗したら大きなペナルティが待っているような環境では,創造的な仕事を達成することなど不可能です。
インフォーマルコミュニケーション
最近はリモートワーク人口が増加して通勤ラッシュなどの肉体的な負担は軽減されているものの,「オンラインではコミュニケーションがやりにくい」「職場の仲間との繋がりが薄れた」といった不安を訴える意見が少なからず聞かれます。リモートワーク特有の様々な不安やストレスを見ると,昭和から平成の時代に国内企業でよく行われていた「職場の飲み会」「社内運動会」「社員旅行」や「休み時間のダベリング」など,職場のゲマインシャフトを強化するイベントが,実は社員の精神衛生や創造的なアウトプットを支えていたことを再認識させられます。
創造的で働きやすい環境を構築する上でゲマインシャフトが有効である一方,その生い立ちは自然発生的であるためコミュニケーションの切っ掛け作りとコミュニケーションの継続が不可欠です。コミュニケーションの切っ掛けは「何でもよい!」と言っても過言ではありません。職場の旅行会でもレクリエーションでも,ちょっとした飲み会でもスポーツ大会でも,あるいは義理チョコだって良いのです。小さなことを切っ掛けとしてまずはコミュニケーションを始めることで,徐々にメンバ間の距離が縮んで相互の信頼関係が深まっていきます。何気ないインフォーマルコミュニケーションは,人間関係の距離を徐々に縮めて強固なゲマインシャフトを構築し,より独創的なアイディアを生み出す土壌を形成する上でも,とても有効です。
世間での人々の繋がりが希薄化している今だからこそ,職場や研究室でのゲマインシャフト強化を考えてみてはいかがでしょうか?
P.S.
題名の「ギリチョコ」ですが,筆者はヒューマンインタフェース学会には長年のギリがあるので,下田宏先生(京都大)からこのWebリレーエッセイを依頼されて締切ギリギリにチョコっと書かせて頂きました。だから「ギリチョコ」!