大槻麻衣(産業技術総合研究所)

 

「ぼくは雑踏を歩くのが怖い」
「なぜならば知ってる人に会ってもわからないからだ」
(出典:食卓の魔術師 (花とゆめCOMICS),1984/12,佐々木 倫子)
 

この「ぼく」は、とにかく人の名前と顔が覚えられない。雑踏で「あ、こんにちは」と声をかけられてもその人が誰かわからずに「どちらさまですか」と言わざるを得ない。そうすると、当然相手はがっかりするので、雑踏ではつい下を向いて歩くことになる……というシーンだ。

 

私は、このマンガを読んだ時に「私か!?!?」と思った。

 

そう、私も人の名前と顔が覚えられないのである。
私と付き合いの長い方は驚かれたかもしれないし、「あ、やっぱりね」と思われたかもしれない。前者の方々に対してはうまく擬態できていたようでよかった。後者の方は、そのまま気づかなかったふりをしてください。
なお、相手に興味がないとかそういうことは全くなく、ただただ覚えられないだけです…。

 

最初は大学勤めで、やり取りする人はおおむね先生だったので、名前がわからなくても「先生」と言えば多くのケースでは大丈夫であり、いい職に就いたと感じていた。事務室の人については、最初の頃は部屋に入ると同時に「XXさんいますかー」と声をかけるという完璧なテクニックでやり過ごしていた。学生さんについては、素晴らしいことに、少数精鋭の学生さんを育てるプログラムだったので概ね気づかれずに過ごせたことと思う。

 

一方、今の職場は、残念ながら、大多数の相手を「さん」付けで呼ばねばならない。しかもコロナ禍をはさんだので久々に会う人などは一瞬間が空くし、名前が思い出せないまま、名前を呼ばずに会話をすることもある(大変)。また、山田さん(仮名)と山木さん(仮名)のように先頭2バイトが同じ人は混乱が生じやすい。この現象については、師匠のK村先生にもみられた。「人間の脳が同時に維持できる社会的関係の数は平均150人」と言われている(ダンバー数)。思い返せば、出身研究室は3研究室合同で、最大に人数が多かった時は合計100人弱。人間、生活は研究室だけでは完結しないし、年々学生さんは入れ替わるので、どう考えてもオーバーフローである。それなのに相手は「あ、大槻さん」と声をかけてきてくれるのである。みんななんでそんな覚えてるん?(ありがとうございます)

 

今、この記事を読んでいる方で、名札をポケットにしまっていたり、名札が裏返っていたりしたら、ぜひ私のような人のために、明日からは、名札が読めるようにポケットから出して、時々ひっくり返っていないか確認してもらえれば幸いである。あと、たまにイベントの名札で名刺を代わりに入れるケース、文字が小さすぎてぱっと読めないので滅びてほしい。

 

コロナ禍ではオンライン会議がメインだったのでみんな名前が出ていてよかった。ぜひ現実でも視界に入る位置に名前が出ててほしい。もうそろそろライトなARゴーグルが一般化してもよくない??
しかし、顔を覚えていなくても、声から名前を紐づけられる場合がある、ということを知ったのは発見であった。我が友、李徴はこんな顔だったかもしれない。

 

最後に、同じ悩みを抱えている方、何かの折に、どうやって乗り切っているかノウハウを共有してもらえると嬉しいです。あなたの名前は覚えられないかもしれないけれど、きっとわかってくれると信じています。