廣江 葵(大阪成蹊大学)
私の子供の時の夢は発明家だったと思います。 しかし、きっかけがエジソンの伝記だったのか、星新一のSFショートショートだったのかはもう覚えていません。 現在、研究者になることができ、ボスと一緒に特許を出す機会もあり、発明家と自称できるかなと思いながら、半生の振り返りをエッセイに書かせていただきます。
小学生の頃は、親に協力してもらいながら毎年の自由研究に熱心に取り組んだことは記憶にあります。(研究者になったルーツ?) 現在、大阪で万博が開かれていますが、高学年の頃、愛知万博に連れられ、そこで見たロボットに感激しました。この辺りから工学系に進むことは意識していたと思います。(この頃にロボットに興味を持ったのは、ロボットアニメの影響ではなく、ロボットのデモを見ていたことが大きいです)
中学生になり、テレビで見た高専のロボコンに憧れを持ちました。この頃は数学・理科・技術が得意で、将来は工学系に進んでロボット工学をやるんだ!と息巻いていました。
高校生は高専には進学せず普通科の学校に進学しました。高専に進学し高校生の年齢の頃から専門科目に入門していれば、今の自分の職に役に立ったのになと思う反面、その場合は、おそらく一般就職していたのだろうと思ったりします。理系クラスには進んだものの普通科の授業はそういったものには全く関係ない授業ばかりで、興味を持つことができずどんどん成績は落ちていきました。 大学受験では、成績の関係で、少し特殊な工学系学部を受験しました。工学系ではありましたが、ロボット工学とも情報工学とも外れています。
紆余曲折は多少ありましたが、理系の大学生にはなれました。しかし、興味のない科目ばかりで、しっかり打ち込むことはできませんでした。(教員になった今、学部選択を間違えたと嘆く学生の相談に乗ったりすることがあるのは、奇なものです) そんな中、当時のカリキュラムでは2年次に「基礎ゼミ」という名前の研究室体験ができる科目があり、通年で受講したのですが初めてプログラミングをする機会を得て非常に楽しかったことを覚えています。iRobot社のルンバのプログラムを書き換える体験をし、私の求めていたロボット工学と情報工学に近しいことを体験できました。 他の専門科目は楽しくないままでしたが、4年次の研究室配属で「基礎ゼミ」で担当してもらったN先生の研究室を希望し無事配属されました。当時成績の悪かった私が入れたことは非常に幸運でした。(一緒に配属された2人は成績上位者でした) ここで、大学進学時に外れてしまった道のりから少し戻って来れたのだと思います。研究テーマは視線計測装置の開発で、ロボット操縦にも使えそうな技術に関するものでワクワクしました。(いきなりのC++開発には苦しめられましたが・・・)
その後は親の勧めもあり修士に進学しました。学部で学んだことを活かせるメーカーに就職することを目指しながら、研究に取り組みました。博士進学のきっかけは国際学会に採択されたことでした。自分の研究が世界的にも認められることになったことはとても嬉しかったです。ここで図に乗って、アカデミアを目指すことを決意しました。親には心配をかけたと思います。
そんなこんなで博士に進学し、N先生にはたくさんお世話になりながら学位を取得しました。博士課程の期間中は、その後のキャリアについてとても不安でしたが、これまでの共同研究のコネで研究員をさせていただき、そのあとは御縁もあって現在の大学の助教になることができました。
ロボットの発明家ではありませんが、ロボットに関連するかも?な技術の研究者になって、何度も道を逸れても、夢に近い道のりに戻って来れたことに喜びを感じています。自分は研究者としてやっていけるのだろうかと悩む日もありますが、続けられるところまでやってみようと思います。
