椹木 哲夫(京都大学

 

長年、私は機械と人間の関わりを探るシステム工学の世界に身を置いてきた。複雑な事象を俯瞰し、その本質を捉えるために無駄を削ぎ落とし、美しいモデルへと昇華させる。それが、いわばシステム工学の生業とされてきたわけだが、私のなかでは40年近く前の博士研究以来、ずっとこれに対してどこか懐疑的な思いもあった。そして定年退職を目前に控え、研究者としてのキャリアも終焉に差し掛かったある日、知人から一冊の写真集への寄稿文の執筆1を託された。テーマは「築地」。その依頼を受けたとき、私の心は予期せぬ高揚感に包まれた。ヒト、モノ、コトが渦を巻くように絡み合うあの場所は、私の専門分野の言葉で言えば、一つの巨大で複雑な「システム」に他ならない。しかし、それは私の慣れ親しんだ、制御可能なシステムとは全く異質なものであることを、私はまだ知らなかった。

 

システム屋の性分とでも言うべきか、私たちは目の前の混沌を前にすると、どうにかしてそれを「理解」し、手なずけようと試みてしまう。だが、築地という生きたシステムを前にして、そのアプローチがいかに一面的なものであるかを思い知らされた。文献を紐解き、移転後の豊洲の整然とした通路からガラス越しに市場を眺めたとき、私が感じたのは、かつてそこにあったはずの「生の世界」との断絶だった。観光客として安全な場所から観察する風景と、そこで汗を流し、声を枯らし、生きてきた人々の「生活世界」。その間には、決して越えることのできない深い溝が横たわっていた。

 

築地の本質は、個人の熟練の技といった言葉だけでは到底掬い取れない。「現場力」とでも呼ぶべき、ある種の社会的な能力によって支えられていたのだと思う。それは、働く人々の間に、道具と身体の間に、そしてあの雑然とした空間そのものに宿る力だ。言葉にならない合図、阿吽の呼吸、日々の実践を通じてのみ受け継がれていく暗黙のルール。それは誰のものでもなく、しかし確かにそこに存在し、市場という生命体を動かす心臓となっていた。

 

そして、築地は「ゆらぎ」をこそ、その活力の源としていたように思う。効率だけを追い求めるならば、日々の汚れや人の流れが織りなす無秩序は、排除すべき対象だろう。しかし築地は、その予測不能なゆらぎを許容し、むしろバネにして変化に対応するしなやかさを身につけていった。定期的に行われたという店舗の配置換えさえも、システム全体の新陳代謝を促し、新たな活力を生み出すための儀式だったのかもしれない。完璧を目指すのではなく、不完全さや「ゆとり」の中にこそ、真の強さが宿る。築地の喧騒は、私にそんなシステムの真理を静かに語りかけていた。

 

そこでは、あらゆるものが意味を帯び、記号として機能していた。交わされる符丁、独特の身振り、空間の使われ方。人々はそれらを解釈し、意味づけ、相互作用を繰り返す中で、自らの世界を絶えず創り上げていた。それは、環境にただ合わせるだけの受動的な進化ではない。人間がその中心にいて、明確な主体性をもって世界と関わり、ゆらぎを受け入れながら自らを変え、超えていく「創発的進化」と呼ぶべきダイナミズムだ。

 

今、築地という場所は姿を変え、旧築地市場は豊洲に移った。しかし、あの生きた混沌が体現していた姿は、人間が中心となるシステムや社会をいかにデザインすべきかという、根源的な問いを私たちに投げかけている。それは、効率や制御といった言葉だけでは測れない、生命のしなやかさ、豊かさについての、深く、そして静かな教えなのである。

 

末尾ながら、寄稿文執筆の機会と本エッセイ執筆に際して貴重なお写真の提供をいただいた株式会社ユナイテッドデザインの杉山 圭氏に深謝申し上げます。

 

写真1 ありし日の築地市場の全景(杉山 圭氏のご提供による)

写真1 ありし日の築地市場の全景(杉山 圭氏のご提供による)

写真2 築地における生きた混沌の一場面(杉山 圭氏のご提供による)

写真2 築地における生きた混沌の一場面(杉山 圭氏のご提供による)


  1. 寄稿文 椹木哲夫「レーベンスヴェルト(生活世界)としての築地」, 杉山 圭【著】築地考―築地市場写真による魚河岸文化の記録と考察, 建築資料研究社(2023/09)