阪田真己子(同志社大学)

 

娘とファミレスにご飯を食べに行ったときのこと。メニューを注文してしばらくしたら、配膳ロボがご飯を運んできてくれる。なんなら、耳がついていたり(やっぱり「かわいい」に耳は鉄板)、名前もついていたり(自宅近くのファミレスロボは「まおちゃん」という名前)、、、昭和生まれの私としては、まるでドラえもんの世界到来!の心境である。

 

しかし、ここで興奮していては、いけない。親としての面目を保たなくては。
「ほらさ、こうやってロボットがご飯運んできてくれるようになったらさ、これまでご飯運んでた人の仕事がなくなっちゃうわけよ。AIやロボットがね、人の仕事を奪っちゃうのよ。ロボットやAIに仕事を奪われないように、しっかり勉強せなあかんよ」
いつもキャリア科目で学生に言っていることを小3の娘にも言ってみる。
すると娘。「ママ、“奪われる”なんて言ったらアカン。ロボットは手伝ってくれてるねん!」と反撃。
(確かにそうだ)
「AIに仕事が奪われる」だの、「chatGPT使って手抜きしちゃだめ」だの、つい昭和なオカン先生は脅しをかけてしまう。ロボット、AIネイティブにとっては、それらはまさに自分のことを手伝ってくれ、私たちの生活に豊かさを与えてくれるありがたい存在なのだ。いや、ありがたいのはわかっている。実際私もchatGPTに悩み相談をして、そこそこ気の利いたアドバイスをもらったりしている。連れ合いより頼れる。

 

筆者が小学生だった1980年代、「21世紀」とか「未来」といったワードは子どものワクワクコンテンツだった。21世紀の自分に向けた手紙を書くという企画が全国各地で行われ、ワクワクしながらタイムカプセルに埋めた。いつかドラえもんの世界が到来するのだというワクワク感は、FAXや携帯電話、そしてインターネットといった形で具現化され、着実に未来が現実となってきた。ちなみに、中学生のときに通っていた塾で生まれて初めてFAXを見たときは、本当に度肝を抜かれた。先生が、本校(私は分校に通っていた)に電話して「参考書の○○ページ、FAXで送って」と言った後、指定したとおりのページが「ビーー」という音とともに目の前にワープしてきたのだから。
それぐらい「未来」は魅力的なパワーワードであり、キラーコンテンツだった。

 

さて「ハクション大魔王」というアニメをご存じだろうか。小学生の主人公カンチャンのくしゃみで「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」と壺から出てきた大魔王が、カンチャンの願い事を叶えようと七転八倒する物語である。なんともドジな大魔王を見ながら、昭和の子どもは思う。「そうそう、願い事ってそう簡単には叶わないのでごじゃる」と。
では「ハクション大魔王2020」がコロナ禍で放映されていたことはご存じだろうか。大魔王の娘アクビちゃんが、魔法の修行のためにカンチャンの孫のカン太郎のおうちにやってくる、という設定である。アクビちゃんは修行のためにカン太郎の願いを叶えようとするものの、修行にならない。なぜなら、科学技術の力で人間の願いはほぼほぼ叶ってしまっているからである。アクビちゃんは、カン太郎に夢を持たせるためにこれまた七転八倒。よくできた話である。「願いが叶う」世代には夢などないのだろうか。

 

事実なので書いておくと、2020版は2クール(全20回)で終了した。予定通りだったらしいが、昭和版に比べると、なんともあっけない感じがした。
私は思う。
令和の子どもだって叶えたい願いがまだまだがあるんだよ。
またまた自分の娘の話で恐縮だが、VRゴーグルを生まれて初めて装着したときのこと。
「すごい!!見えないものが見える!」
ワクワク全開である。日本語的にはめちゃくちゃだけど、でも言わんとしていることはわかる気がする。

 

そして最後は私自身の話。
大学院修士の頃、受講していた「対人行動論」という科目の担当教員(神戸大学の米谷淳先生:現在は定年退職)から「ヒューマンインタフェース学会っていう新しい学会ができたんだよ。文系も理系も関係なく、人と機械の関係、機械を使用する人そのものに関する研究に学問分野の壁を超えて取り組んでいこうっていう、とても未来志向でワクワクする学会なんだよ。君も参加してみないかい?」とお声がけをいただいた。そこで参加したのが「ヒューマンインタフェースシンポジウム1999(大阪大学)」である。シンポジウム後、ワクワクが止まらず、なけなしのお金をはたいて学会に入会した。
あれから20余年。
昭和の子どもだって叶えたい願いはまだまだあるんだよ。
未来志向でワクワクするヒューマンインタフェース学会にまだまだ期待!

 

HMDを被った子供

見えない何が見えたのかな?