泉朋子(立命館大学)

 

私の博士論文のテーマは、複数の計算主体がグラフ上を移動し互いに相互作用をしながらある基礎問題を解くときにかかる計算量の上限、下限を求めるというものである。ヒューマンインタフェースにご興味のあるこのリレーエッセイの読者からすると、一体何の研究なのかと思われるだろう。私は学部4年生から博士後期課程まで分散アルゴリズム設計論講座に属し、修了後も計算理論分野で研究をしていたのである。当時の研究の主なツールは紙とペンで、計算機は主に文献調査と論文執筆のための道具であり、研究過程で研究者以外のヒトと関わることは一切なかった。

 

それが、今はヒューマンインタフェースの研究分野で私は活動をしている。どうしてこうなったかのいきさつは長くなるので、ここでは割愛させていただくが、それはまさに青天の霹靂で、ある日突然私はヒューマンインタフェース分野に足を踏み入れた。

 

ヒューマンインタフェースの研究に関わり始めた当初、私は本当に困っていた。論文を読んだり研究の話を聞いたりすると、とても面白い。まず背景や研究のモチベーションには共感でき理解しやすいし、提案されているインタフェース・インタラクションのアイデアも素直に面白いと思う。しかし根本的に、研究成果となる基準やその良し悪しの基準がわからない。これがわからないと研究活動ができない。

 

計算理論の分野では対象となる問題は数理モデル化され、厳密に定義される。考えるべき問題に曖昧さはなく、その問題について既存の知見より良い上限、下限を数学的に定理として証明することができれば新しい研究成果となる。一方、ヒューマンインタフェースの分野は、課題解決するべき対象がヒトや社会で、考えるべき問題やその境界が複雑で曖昧である。さらに多くの研究では実験協力者が参加する実験が行われていて、そこではセンサで取得した生理データやアンケートへの回答などの主観的なデータが扱われている。これの扱い方、解釈の仕方が本当にわからない。ヒトには個性があり、モノやコトに対する感じ方も多様でインタフェースの便利さや使いやすさ、面白さを感じるかどうかは人それぞれ。同じヒトであったとしても、その時の気分だったり体調だったり周辺環境によっては反応や感じ方は変わるはず、で…どうしたものか。さらに、アイデアや得られたデータが学術的に価値のある提案、知見と言えるのかもさっぱりわからない。何が良い研究なのか。実験結果の平均値がどれくらい違っていればいいのか、統計的な差が出ていればいいのか。個人のインタビュー結果の捉え方は最難関である。白黒がはっきりつきやすい研究分野で生きてきた私にとって、ヒューマンインタフェースの分野は掴みどころのなく、数式ばかりの証明よりもずっとずっと難しい世界だった。

 

ヒューマンインタフェースの分野に関わることになって11年。右往左往していた私であったが、周りで指導してくださる研究者の方々にも恵まれ、なんとか研究室でヒューマンインタフェース分野の研究を指導できるほどにはなった。今では計算理論分野での研究者仲間にもこちらでの研究の話をする機会があり、話す時には当時の自分自身の混乱ぶりを思い出し、研究の考え方や価値観が伝わるように意識している。他分野にも関わらず興味をもってもらえると、全く異なる2つの研究分野がつながりをもてたようでなんだか嬉しい。

 

計算理論の研究をしていた当時の研究ノート。当時は毎日ノートに向き合っていた。