小北 麻記子(玉川大学芸術学部)

 

Terrible twos, horrible threesとはよくいったもので、コトは、いわゆる「母親が目を離した隙」におきました。

当時、3歳の私は長女で、2歳の弟、生まれたばかりの0歳の妹がいました。小高い丘のうえの借家住まいは、乳幼児を3人抱えたワンオペ中の若い母にとっては、たいへん不便な環境だったようです。

それでも母なりに工夫して乗り切っていたらしく、その日、お隣さんには子どもを見ていてもらうようにお願いし、聞き分けの良い長女(私)には、よく眠っている妹の見守りを言い含め、コントロールの効かない弟だけは自ら連れて、近所の商店街に買い物に出かけていきました。

 

告白すると、私はこの機を狙っていました。数日前に、母がタンスの引出しを複数開けながら探し物をしている様子を眺めながら、そのタンスのさまに「階段みたい!」と気付いてしまっていたのです。ああ、その引出し、もっと綺麗に下から順に長く引き出したなら、もっともっと階段みたいになるのに!しかしソレの実行は、親の前では許されないであろうことも察しがつきましたので、その素敵なアイデアを気取られぬように過ごしていたのでした。

 

果たしてその時は訪れました。母が、留守番を私に託したときには、それはもう頼もしげに快諾し、子どもへの目配りを託されたお隣さんには、安心してお隣に戻っていくようお利口さんに振る舞い、いよいよ、眠っている妹以外誰もいない状況になったのです。

 

機会が訪れるまでじっと何度もシミュレーションしてきましたから、その後は実にスムーズでした。母の嫁入り道具であった当時のタンスは木製で、そう簡単に引き出しは開きませんでしたが、3歳の私は、左右にある取手をそれぞれ交互に両手で掴んで踏ん張り、少しずつ引っ張り出していきました。たしか引き出しは5段までで、そのうえには少し奥行きが浅い揃いの飾り棚が載っていました。当時よくあった、ガラスの引き戸がついたスタイルです。

 

私は、自分が引出しのなかに入りこんでいるその様子だけでも素敵な絵だと感じていて、それはもう嬉しくて楽しくてたまりませんでしたが、大人がみれば、ムンクの叫びのようになってしまう恐ろしい絵に違いありません。私も今ならそう思います。

 

いよいよ最後の引き出し作業も終わりました。5段目はほんの少し引き出すだけですから、すでに熟練した私には楽勝です。そこまで這い上がってみて、遠目に見上げていた飾り棚のなかがよく見えることに気がつきました。そして、決して触らせてもらえない、宝ものかのような美しい品々をじっくり堪能しているうちに、さらに素敵なことを思い付いたのです。私はこの私の階段を、階段らしく(今のように這い上がるのではなく)立って歩いてここまで上るのだ、と。

そして、いちどタンスから降りた私は、より階段らしくするべく、1段目と2段目をさらに引っ張り出し—タンス本体から抜いて—レイアウトをし直したのでした。

仕上がった階段は、それはもう素敵でした。きっとタンスは影の姿〜、ほんとうは階段!そして宝ものへと導くの!サイコー!

 

私は背筋を伸ばし、お姫様のごとく改めて階段を上り始めました。あと1段というとき、なぜか目の前の宝ものたちが自分のほうにするすると近づいてきました。そう、傾き始めたタンスのうえで、飾り棚が滑ってきたのです。

 

まるでお布団をかけるかのように、胸に飾り棚を受けながら私の身体が後方にふわりと浮いたとき、思っていたのは、あと一歩上りたかったのに!でした。そしてガッシャーンと凄まじい音がして、よくあるドラマのカットのように、床の位置から、私の名前を叫びながら縁側を駆け上がってくる、優しいお隣さんの姿を眺めていました。

 

幸い、私はまるっきり無傷でした。直後に帰ってきた母に、なんども、頭を打っていないか、痛いところがないかと訊ねられましたが、大丈夫でした。妹は、離れた場所で寝ていて巻き添えになっていませんでした。飾り棚の中のものも大きな問題はなかったようです。ただひとつ、父のトロフィーを除いては。

 

そのトロフィーは、父が囲碁の会で優勝して得たもので、肝心の両腕がポッキリと折れていました。どうしてタンスの下敷きになったのか、その理由を私から聞き出した母は私を叱らずにいましたが、そのトロフィーについてだけは、自分できちんとパパに謝りなさいと言いました。やがて夜になり、父の帰宅の気配を受けて母は素早く玄関に向かい、予め今日のコトの顛末を説明しているようでした。玄関先で父が驚く声と、なぜか母の笑い声が聞こえ、その後、しょんぼりしている私に気がついていないふうに父が入ってきました。私は握りしめていたトロフィーを父に差出し、「パパの大切なトロフィーを壊しました。ごめんなさい。」と言うや、はじめて大泣きに泣きました。

父も、危ないことはしないように気をつけなさいとだけ言って、タンスを倒したことについては叱りませんでした。

 

さて昔話は以上です。この話からは、よい子は決して真似しないように、くらいしか言えませんし、今の時代であれば、両親も振る舞いが違っていたかもしれません。ただ、あの状況で、私の発想を否定するような叱り方をしなかったふたりの娘として、本意を思いやって若いひとに関わっていきたいと改めて思った次第です。

 

ちなみに、本稿登場の父のトロフィーは、父が他界した折、形見分けとして我が家にやってきました。今も棚の最上段、ガラス戸の奥に飾られています。三つ子の魂なんとやら、いつまでも懲りない私を苦笑いしながら眺めているのかもしれません。

 

ニケもまたかくありなん…?

ニケもまたかくありなん…?