下田 宏(京都大学)

 

先日、年度末の折に研究室のスタッフや学生さんに手伝ってもらって不要物品を一掃しました。いわゆる「断捨離」です。いや、正確には断捨離を試みたというべきでしょうか。結果的にはこれまでため込んできた不用品をある程度捨てられたのですが、十分に整理できたかというとそうでもありません。

 

研究を進める際には、例えば実験機材等の様々なモノが必要です。これらのモノを購入するのは簡単ですが、研究が一段落してそれらを捨てるのが難しいと感じます。すなわち、モノの要・不要の判断が難しいのです。うまくモノが捨てられないと研究室がモノで溢れかえり、かえって必要な研究ができない状態になります。

 

戦後の我が国は大量生産・大量消費の元に経済発展を遂げてきましたが、物質的に豊かになってくると今度は「シンプルライフ」「ミニマリスト」等をキーワードとしたモノをため込まない生活が注目されています。モノが少なく整理整頓された部屋は居心地がよく、片づいていない部屋は落ち着かない感じがします。片付いていない部屋は眼から入ってくる情報量が多いために視覚情報処理が多くなって脳が疲れるのでしょう。

 

有名な「こんまりさん」こと片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんが提唱するモノを捨てる極意は「ときめき」です。捨てるか残すかを判断する際に、そのモノを手に持ち「ときめくかどうか」を判断基準にするものです。初めて著書を読んだ時は「ふーん、そんなものか」と思いましたが、よく考えてみると非常に理にかなっていることに気づきます。人間の認知には限定合理性という性質があり、合理的であろうとしても認知能力の限界によって十分合理的な判断ができないということです。ある意味、近藤麻理恵さんは、これに対して「感情」を使って判断すべきと教えているわけです。確かに認知の主な機能は「理解」、感情の主な機能は「判断」なので、捨てるか捨てないかの判断を「ときめき」のような感情に任せるのは合理的ですね。

 

さて、筆者の自宅や研究室の居室はキチンと片付いているかといえば、お世辞にも整理整頓されているとは言い難いです。というのも、筆者は百円均一ショップ好きで、お店に行くとついついいろんなモノを買ってしまう癖があります。そもそも、断捨離する前にこの癖を止めることが先決なのですが、百円均一ショップに入ったときに「これが全部100円!?」ということに「ときめいて」しまうのです。

 

第7回リレーエッセイ画像