竹内勇剛(静岡大学)
エネルギッシュな話題が多いリレーエッセイに水を挿すようで恐縮なのだが,このコロナ禍の中ですでにお亡くなりになっていたという事実を知ることが多くなったように感じる.私ごとながらこの8月に子どもの頃から私にいろいろな「遊び」を教えてくれた叔父の1人が亡くなっていたことを先日,実家に戻った際に母に聞かされた.そもそもこうして実家に戻ったのも,3月に私の父が他界したことによる相続関係の手続きがあったからだ.叔父と同様に父が他界したこともまた,父の知人はもとより3親等も離れてしまえば親類でさえ知らないかもしれない.今,葬儀社が取り扱っている葬儀の半数は家族葬や直葬と呼ばれる形になっているらしい.そのため,ある人の死を知り見送った人はそこに立ち会った人だけになる.父の弔いは母の希望でもあり父の意向でもあった通り,家族葬として母と弟夫婦と私の家族だけで桜雨の日の中静かに執り行った.したがって父との「別れ」はここにいた者たちだけのリアルであり,これを知らない人にとってはまだ父は生きているのだ.
重たい話から始めてしまった.このリレーエッセイを私に依頼してこられた担当の方も,こういうことを書いてくるとはよもや期待していなかっただろう.いや,何か掲載を憚られるようなことを書いてはこないかとすでに警戒されていたかもしれない.いずれにしても,ここからが本題なのでご寛恕いただきたい.
今の時代の「別れ」とは何なのだろうか.電子メール,WWW,SNSなどさまざまな電子メディアによって日頃顔を合わせて会っていない人ともどこか繋がっているように感じている.しかし親類や恩師のように,年に一度か二度の年賀状や暑中見舞いの交換で互いの安否を伺い知るような緊張感はそこにはない.電子メディアでは,たとえ互いにやりとりをしていなくても,一旦アドレスを交換したりトモダチ登録したりしてしまえば,それは相手とは“繋がっている状態”となる.そのため相手をブロックしたり着信拒否したりと,明示的に関係を断ち切るための手続きをしない限りは両者の間の「別れ」は感じられない.結局,たとえ会えなくても,話す機会がなくても,どこで何をしているのかを相手から聞けなくても別れられない世界に私たちは生きている.その姿はさながら延命治療の末の脳死状態になったまま生きる身体だ.しかしかつては『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)の歌詞の世界だった(昭和歌謡はやっぱりいいな,と思うのは私がオヤジになったからだろうか).そこにあるのは自然な「別れ」に他ならない.
ところが現代が「別れ」を感じづらい世界になったという一方で,依然として忘却という消極的な「別れ」は存在している[1].少し前にこのコロナ禍が収まったらずっと延期になっていた同窓会をやろうと連絡をもらったが,どうもこの幹事グループの面々のことでさえ未だちゃんと思い出せないでいる.卒業アルバムで名前と写真を照合してもとんとその人たちとの記憶が蘇ってこないのだ.こうなってくると,もはや同窓会という名の“同期生だという情報を共有しただけの面識のない人たちとのパーティー”に参加することになってしまう.これは何とも気持ち悪いし居心地も悪い,と最初は思った.だが待てよ,これこそが救いではないのか.50歳を過ぎれば腹は出るわ,髪は薄くなるわ,皺は深くなるわ,滑舌は悪くなるわ,話はくどくなるわ,体のどこが悪いだと青春を謳歌していた高校時代を懐かしむどころではない.それならばいっそ面識がないオジちゃんオバちゃんのあけすけな話題で盛り上がるパーティーの方がずっと楽しいし有意義ではないか.忘却の力で青春時代という過去と静かに決別しつつ,迫りつつある老いと共に未来を歩む新たな共同体の結成を祝えばいいのだ.過去との「別れ」は未来との出会いである.それが今を生きているということだろう.
[1] これを書いていて,米国では認知症(dementia)を患って少しずつ記憶を失っていくことを the long good-bye と表現することがあることを知った.