上杉 繁(早稲田大学)
「無人島に一つだけ道具を持ち込む場合,何を選択するか」という質問への回答を,少なくとも一回は考えた機会があるのではないか.無人島や山中で食べ物を入手したり,寝る場所をこしらえたりする様子を紹介する番組を見たこともあるだろう.使用できる道具や材料が限られる中で,工夫を凝らして解決する様子は爽快であり,憧れと挑戦心をかきたてる.冒頭の問いに関して,刃物,テント,寝袋などをあげるかもしれない.刃物に関しては,十徳ナイフと呼称される,ナイフに加えて,のこぎり,はさみ,缶切りなど,複数の機能を組み込んだ道具があれば事足りるともいえる.執筆者もこの種の道具に関心があり,いわゆる赤いグリップの道具や,ペンチ型の道具,少し変わった種類としてはスコップ型の道具なども所有している.キャンプの時には,調理用,薪割り用の刃物もさらに加わり,いずれを持参するかいつも迷い,大型テントや冷蔵庫も含め,キャンプにおける「何かに備えて」 全てを車に詰め込むことになる.
「何かに備える」という行為において,「何か」をどこまで想定し,絶えず事前に「備える」ことができるのであろうか.
昨今,大雨や台風,地震などの大規模自然災害の発生が国内外において増加傾向にあり,被害も拡大している.自然災害直後に,水や電気,ガス,物流などの生活基盤が機能しなくなる状況を想定し,自宅や職場において,水,食料,電池などを備える必要性が増している.執筆者においても,それらに加えて,近所の川の水を飲料水用に濾過可能な携帯用浄水器,排せつ物の処理剤なども用意している.自宅や職場で多くの時間を過ごすことを踏まえ,非常時に必要と想定される物品を備えておくことは,予算と保管場所を考えながら十分に対応可能である.
一方で,絶えず備えておくことがなかなか難しい状況は,通勤,通学などの移動中である.使用者から切り離して保管したり,使用者が保持し続けることなく備えることは難しく,移動中においては直接身に着けたり,カバンに入れて持ち運ぶことになる.あるいは自転車や自動車に備え付けることも可能ではあろう.職場や買い物へ向かう途中,いつ,何が起こるかわからない状況を想定し,そこで生きのびるために何の道具を絶えず持参すればよいのだろうか.強い日差しの中で移動せざるを得ない場合には,太陽光を遮ったり,体温上昇を抑える道具が必要であろうし,地震の際には落下物から頭部を守るための道具が必要であろう.ただし,刃物に関しては,いざという時のためにとの理由で所持することは,車の中も含め禁じられている.
こうした状況を踏まえると,移動中を考慮して携帯する道具においては,「風土」,少なくとも気候への対応を考えることになる.雨の降りやすい時期においては,身体が濡れないための道具が必要であり,いつでもカバンに,カーボン製の骨で構成された軽量かつ破損しにくいトレッキング用折りたたみ傘を入れてある.寒い時期においては,体温低下を防ぐために,吸湿かつ保温効果の高い肌着を着用するようにしている.それを踏まえつつ,カバンの中に入れて通年持ち運んでいる道具は,写真に示すメタルマッチと麻紐である.メタルマッチとは,マグネシウム合金製等の棒を削ることで火花を生じさせる道具であり,水に濡れても使用でき,劣化せずにいつでも使用可能である.
「終電で寝過ごして,目が覚めて急いで下車した無人駅で被災し,周囲に人家も見当たらずにやむを得ず野宿する際には,暖を取るために使うことがあるかもしれない.」
こうした状況が生じないことを願いながら,「何かへの備え」を想像する契機となるように持ち続けている.
※ヴィクター・パパネックの思考と実践に触発され,和訳題目(生きのびるためのデザイン,1974年,晶文社,〈原著〉Design for the Real World: Human Ecology and Social Change, 1971年)に着想したタイトルとした.