坂本 隆(産業技術総合研究所)

2月も中旬を過ぎると、勤務先(つくば市内の産総研)の敷地内に植えられた梅の木が花をつけ始める。年度末の忙しい時期であっても、春の訪れが日に日に近づいていることに気付かされる。紅梅、白梅の小さな花が咲き始めると、ほっこりした気分になる。

逆に嬉しくない季節の便りも、この時期にやって来る。つくば市内から遠く筑波山を眺めていると、山全体が黄色みを帯びて見える日がある。そうした日は、花粉や黄砂が多く飛んでいるのだ。特に3月から5月頃にかけて、朝の出勤時に何気なく筑波山を眺めては、ため息をつく日が多くなる。私は花粉症で黄砂アレルギーなのだ。

筑波山は日本百名山に選定されているが、百名山の中では最も標高が低い(877m)。それにも拘わらず日本百名山に選ばれているのは、周りに高い山々が存在しない関東平野の東端にあって、ほぼ独立峰であるため、遠くからでも美しい稜線を眺めることができるからであろう。私が知る限り、都心のビル群の谷間からでも、筑波山ははっきりと見ることができる。関東平野を地図で確認すると、北は栃木県の宇都宮市、北西方向の群馬県の前橋市や高崎市、西は神奈川県の小田原市、南は千葉県の木更津市、東は銚子市からでも、ビルに遮られていなければ筑波山は見ることができると推測される(ただし事実確認はできていない)。

筑波山は雅名で「紫峰」と呼ばれる。「紫峰」の名前の由来について、ネット上の実用日本語表現辞典(Weblio辞書)を調べてみると、『筑波山の山肌が、夕日に照らされると紫色に見えるということに由来する』との解釈がある。私は以前より、この解釈は間違っていると思っていたので、この機会に異論を唱えてみたい。

筑波山は標高が低いため、ほぼ1年間を通じて冠雪しない。そのため遠方から筑波山を見た場合、常に青みがかった灰色から黒色に近い青みの色に見えるはずである。それは空の色が青く見える「レイリー散乱」、および霧の中の物が白く見える「ミー散乱」が生じて、遠方から見たときに山の色が変わって見える現象として説明できる。青みがかった灰色や、黒色に近い青みの色は、日本古来の色名で言うと、それぞれ薄い藤色や、深紫(黒紫、至極色)に相当する。それらはまさしく日本古来の色カテゴリーで言うと「紫色」である。先ほど指摘した様に、関東平野の非常に広い範囲から筑波山が見えるならば、そこに居住する多くの人々にとって、筑波山はまさしく「紫色」に見えたのだろう。

「紫色」は冠位十二階が定められた時代から最上の色であり、高価な紫根を使って布地を染色する必要があったため、高貴な色として扱われてきたそうだ。「紫色」は、霊山としても崇められてきた筑波山に相応しい色であったとも推測される。また「西の富士、東の筑波」と並び称される様に、比較対象となる富士山は一年の半分くらいは冠雪した状態で見えるため、冠雪しない筑波山がその対比で「紫峰」と呼ばれたとも考えられる。

このエッセイの冒頭で、梅の花について触れたが、筑波山は梅まつりが開催されることでも有名だ。2月から3月にかけて、毎年開催される梅まつりを楽しみにしている市民も多い。しかしながらコロナ禍の影響で、昨年に引き続き今年も梅まつりは中止になってしまった。残念でならない。せめて遠くから筑波山を眺めて、古来より人々に愛されてきた筑波山の歴史と人々との関わりについて、思いをはせてみようと思う。

 

【緩募】
『こんな遠くからでも筑波山が見えた』という体験談を募集したい。関東平野の北部ならば宇都宮、北西部ならば前橋や高崎、西部ならば小田原、南部ならば(館山はさすがに厳しいが)木更津、東部ならば銚子からでも、筑波山は見えると予想した。しかしこの予想が当たっているのか、確認はできていない。もしこれらの地域から筑波山が見えたなら、是非教えて頂きたい。

 

筑波山の写真