上田 博唯(京都大学客員教授)
豆餅という大福をご存じだろうか? 京都には「出町ふたば」という行列ができる和菓子屋がある。豆餅は大粒の豆の塩気と餅の甘さがなんとも言えない絶品なのだ。ある日その店の裏道を歩いていると「模型店」という看板を見つけた。子供の頃から「模型屋のおやじになるんだ」と言い続けてきた筆者は当然のようにそこに吸い寄せられた。店内には精密な鉄道模型と部品たちが所狭しと並べられており、遠い思い出が走馬灯のように蘇ってきた。小学生の頃の私は父親に買ってもらったO-gauge(オーゲージ)と呼ばれる1/45縮尺の電気機関車が嬉しくて毎日のように走らせていた。金属製レールから電気を受け取ってモーターの力で走り、手元の電源トランスのロータリースイッチで速度制御でき、車体のスイッチ操作でバックもできるという構造なのでメンテナンスが重要である。この機関車のおかげで私は機械を分解整備したり、電気回路をハンダ付けして修理したりするようになった。壊れかけた機関車が調子を取り戻したり、組み上げた鉱石ラジオから音が聞こえた時の感動を今もはっきり覚えている。
屋内の遊びばかりではよくないと考えたのか、父は模型飛行機作りも教えてくれた。竹ひごをローソクで炙って曲げ、雁皮紙を貼り、ゴム動力のプロペラで飛ぶ飛行機であるが、そのシンプルさ故に製作技術で性能に大きな差が出る。飛ばしては改良を繰り返し、毎日のように公園に出掛けていたある日、心地よい爆音と共に驚くような速さで飛んでいる飛行機を見つけた私はそこに釘付けになった。それは小さなエンジンを動力として2本のワイヤーで操縦するUコン飛行機であった。この出会いで私は自分で作った飛行機を自分で操縦するという楽しみを覚えた。中高生時代には屋外の趣味はワイヤー無しで飛ぶラジコン飛行機へと進化し、屋内での趣味は真空管アンプを経てアマチュア無線へと進化していた。そして大学では飛行機の趣味は実物のグライダーを操縦するところにまで到達し、授業そっちのけで飛行合宿に明け暮れる日々を過ごした。
そんな私は就活でまた釘付けにされてしまうものに出くわした。組み立て図面と積み木の山とをカメラで撮影し、積み木を順序よくつまみ上げて図面通りに組み上げていくロボットである。夢物語とばかり思っていたものが目の前で動いている。即座に入社希望先が決定し、そこから私のロボット、AI分野での研究人生が始まった。その後私の興味はAI技術と人間との関わり方というところへと発展し、ヒューマンインタフェースが重要な研究テーマとして加わることになった。私の研究成果の一つである対話型ロボット(Phyno)は、スマートスピーカなどを先取りするプロトタイプであり、長期利用してもらい評価するために建設した実証実験住宅の中で、生活者と共に暮らす知的なパートナーとして活躍してくれた。
振り返って見ると、私はものを組み立てたり、修理したり、改良したりすることから始まり、何かを創出し、それを実世界に適用して確かめ、また新しいものを探る、そんな一連のサイクルを満喫する人生を過ごしてきたのだと思う。こんなことを考えていた時、研究室の院生が通りがかったので少し話してみた。私が子供の頃のO-gaugeは、私の50年後の子供である彼の場合にはRPG(ロールプレイングゲーム)だったようだ。ファンタジーの世界での冒険に魅せられて、自分もそういう世界を創り出して人を楽しませることができるようになりたいと思い、今もそれは変わっていないと言う。今の私の歳になったときに彼はどんなことを語るだろうか? 昭和から平成へと子供の興味をそそるものはハードウェアからソフトウェアに移行して来たわけだが、その先はどこに向かっているのだろうか? 令和生まれの子供達は何に魅せられて育ち、大きくなったときにどんな話を聞かせてくれるだろうか? 私はワクワクしている。