川上 浩司
(京都先端科学大学)

 

表題の問いに答えるべく,20年以上も「不便益」の研究を続けている,わけでもないのですが,つい先日,ふと回答らしきものに気づきましたので報告します.

 

臨済宗妙心寺派の全国のお寺や門徒に,毎月配られる冊子があります.その冊子で私の研究を語るエッセーを連載するようにとの依頼があったときは,面食らいました.私は工学系のシステムデザイン研究のつもりで不便益 (benefit of inconvenience) を語っているのですが,どうやら仏教系の思想にもつながるのではと,妙心寺さんは感じられたようです.たしかに,「不便だから良いのだ」という意味の三文字は,古くから伝わる仏教用語の雰囲気があります.とは言え,私に思想を語る能力はないので,いつもは研究者やエンジニアと議論している内容を,平易にわかりやすく語ることにしました.

 

「不便」には色々なタイプがありますが,ある月のエッセーでは,制約があるというタイプの不便に注目しました.やりたくても制約があってやれないのは,不便なことでしょう.そして,そのような不便だからこそ得られる益があることを,平易な言葉で語らねばなりませんでした.誰もがアルアルと頷いてくれる事例も必要です.これには頭を捻りましたが,思いついたのが「遠足のオヤツは300円まで」と「家に着くまで白い線の上だけで下校」です.

 

300円制限のおかげで,遠足の前日には1時間ぐらいスーパーをうろつき,自分なりのお菓子の組合せをぎり300円を超えないように考えたことは,遠足でどこに行ったかよりも思い出深い,楽しい記憶です.もし,300円制約がなかったらと想像すると,おやつなど母親に適当に買ってきてもらったと思うのです.ある学生が「おやつは学校が準備して配ってくれた」と言った時,他の学生が全員「えー!(かわいそう)」と言ったので,学生たちも私と同じ気持ちだったようです.配ってもらう方が楽なのに.

 

小学生からの下校時,「今日は白い線の上だけで家まで帰ってみよう」と思い立ったことはありませんか?白線が切れてしまったら「いや,アスファルト以外なら黒くないからギリセーフ」などとマイルールを発動してコンクリートの上もOKにするとか.これなども,皆さんに聞いてみるとアルアルのようです.普通に最短距離を歩いた方が楽なのに.

 

「不便益のある京都観光をデザインせよ」というテーマのワークショップで出たアイデアに,「左折オンリーツアー」があります.京都市の街路が碁盤目状ですから,もう名前を聞いただけでツアーの内容も,きっと面白いだろうことも想像がつきます.学生の一人がこのツアーを思いついた瞬間,一緒にワークをしていた他の学生もどよめきました.右折したければ,その十字路を通り越し,“次の角で左折”を三回繰り返します.そして,その時に入り込んだ小さな路地で古い街だからこそ埋め込まれている発見を誘う,という趣向です.普通に右折する方が楽なのに.

 

以上を一般化すると,楽をすることと楽しいことは反対側にあるようです.ここで,表題への回答なのですが,楽をしたければ出かけなければよいのに,旅行に出かけて楽しかった,とおかあさんは言いたいようです.嘉門達夫の古いギャグを一つ.「やっぱり家が一番ね」「ほな最初から旅行に行くな」.

 

不便益システム研究所のキャラクター
「不便益くん」