小野 哲雄 (北海道大学)

 

私自身は雅びでもなく、風流も解さない人間であるため、奇抜で突飛なものを好む傾向があるようだ。他の人の研究発表を聴いているときでも、自分自身の思い入れが強く、根拠のない自信に基づき、これまで聴いたこともないような内容を、熱く語る人が好きな傾向にある。聴いていた聴衆の誰もが口をポカンと開けてしまうほど独創的な、いわば「顎が外れるような研究」をいつも期待してきた(そんな研究は自分でやれ、という冷めた意見は置いておいて)。英語でも「あっと驚くほどの」という意味でjaw-droppingという表現があるようなので、「顎が外れるほど」という形容は、人間の身体性に基づく普遍的なものかもしれない。

 

私自身、別に奇を衒った研究が好きなわけではない。どんな研究分野であっても、夢や覇気、志のある研究、心に響くようなメッセージのある研究が好きなのだ。そして、そういう研究発表を聴いたり、論文を読んだりして、たんにドキドキしたいだけなのだ。

 

たとえば、ここではあえてお名前を出さないが、バーチャルリアリティ(VR)の分野で、再帰性反射材を使った「透明人間」のデモを見たときはやはり感動した。実装系だけではなく、理論的な研究であっても、「ZDD」(Zero-suppressed BDD)を用いて組み合わせ爆発を防ぐアルゴリズムの見事さには息を呑んだ。認知科学の分野における「プロジェクションサイエンス」の構想にも激しく心を打たれた。

 

しかし、ここに挙げさせていただいたお三方の裏話を伺うと、これらの研究がそんなに簡単に生まれたわけではなく、締め切り直前まで実装に悩んでいらっしゃったり、なかなか展望が開けない時期がずっとあったりなど、苦悩されることも多かったようだ。当たり前ではあるが、あるテーマについて日夜、ずっと考え続けてきたからこそ、すばらしいアイディアが虚空の彼方から舞い降りて来たのだろう。まさに、“Chance favors the prepared mind.”の世界だ。

 

そう考えると、軽々しく、「顎が外れるような研究」などとは言ってはいけない。地道な鍛錬や無限の思考の繰り返しが、そのようなアイディアを生み出すための一種の「作法」なのであろう。伝統芸能も同様に、基本訓練を徹底的に身体に叩き込むという「型」の継承をとおして、無駄な所作を抑制するすべを修得し、そこから自分なりの独創的で洗練された「様式美」を生み出しているのだろう。このような「作法」や「様式美」も身体性に根ざしたものであろう。

 

まったく話は異なるが、私は誕生日が同じということもあり、上島竜兵さんが以前から気になっていた(彼の方が1歳年下でしたが)。その理由を考えると、彼のリアクション芸で、会場がどんなに笑いの渦に巻き込まれていても、その後でちょっと寂しそうな表情をする彼が気になっていたのかもしれない。彼の芸をある種の「様式美」という人もいる。

 

彼が「絶対に押すなよ!」と言いつつ、メンバに押されて熱湯風呂にダイブする姿をいまでも思い出す。この「絶対に押すなよ!」は人工知能(AI)には理解できないと主張する人がいる[1]。いま、誰もが遊んでいるように、AIの権化とも言われるChatGPTが「絶対押すなよ!」を理解できるかどうか試してみた。当然、下図のように直接「絶対押すなよ!」と言っても、背景も文脈もわからず、身体性も有していないChatGPTには理解できない。これは私の聞き方が悪い。

 

それでは、ある程度、背景と意図を説明して、下図のように聞いてみた。そうすると、「はい、理解できます。」との返答を返してくれた!身体性に根ざした「作法」も「型」も持ち合わせていないAIが、上島竜兵さんの「様式美」を理解したのである!!ただ、「お客さんに押してもらうことを期待している」という間違った、そして表層的な理解であったため、私の顎が外れることはなく、ただ苦虫を噛み潰すのみであった。

 

[1] 川添愛 (2021).言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか,東京大学出版会,2021.

 

「絶対に押すなよ!」をAIが理解できるかどうかChatGTPに聞いてみた。

「絶対に押すなよ!」をAIが理解できるかどうかChatGTPに聞いてみた。