常盤 拓司(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科)

 

先日、僕の住んでいる町の自治会の防災部の主催でHUG(避難所運営ゲーム)を使ったワークショップがあった。このゲームは静岡県が開発したもので、避難所の運営、中でも立ち上げフェーズでの意思決定を体験するもので、避難所となった学校に次々にやってくる避難者を収容し、その合間合間にはさまざまなイベントを処理していく。

 

ワークショップの参加者は回覧板で事前に申し込んだ30名だった。僕も妻ももともとワークショップに関心を持っていることもあり、家族4名で参加することにした。僕の家族の他には、防災部を含めた自治会の役員-災害が起きた時に避難所を運営する役割を担う可能性が高い住民-が多かったように思う。

 

会場にはあらかじめテーブルが複数用意され、各テーブルには用意された仮想の小学校の地図(校庭や校舎などが書き込まれている)と避難者やイベントが書かれたカードがあらかじめ用意されている。参加者はグループで相談し、時間内にすべての避難者を校舎の中の避難場所として使用できるスペースにアレンジし、イベントを処理することを目指す。成功失敗といったことはなく、相談して判断するという体験に重きが置かれている。

 

避難者カードには個人や病人を抱えた家族、外国人、たまたま近くを移動していた観光客のグループ等、ゲームとはいえ、そこにはある種のリアリティが与えられていた。中には思わず遠くを見てしまうもの(例えば親を亡くした子供)もあった。イベントカードでは自治体からの問い合わせや案内、指示、翌日くる給水車の駐車場所の確保といった細々とした、しかし誰かが決めないといけないことが書かれていた。どんな避難者が来るのか、ゲームではイベントがあるのか全く手がかりがないまま、目の前の課題を「とりあえず」で解決していくことになる。

 

体験している中で気づかされたのは、ゲームが進行するに従ってこのとりあえずの判断は積み上がり、いつの間にかとりあえずのはずの判断がそのほかの状況がしがらみになって、とりあえずでは無くなってしまっていくということだ。実際の避難所でもこういうことがもっと複雑な形で、かつ大量に生じるのだろう。ゲームとはいえ避難所の運営が「こういうことなのだ」と感じておくことはとても大切なことだと感じさせられた。

 

また、HUGで取り上げられた避難所の運営に限らず、昔から言葉では説明が難しいこと、直接体験するのが難しいことをどう学ぶか、学んでもらうかは大きな課題になっている。実際の一部をエッセンスとして取り上げ、ゲームという形式にまとめ、擬似的な体験として伝えるという方法の有効性は今回体験して改めて感じることができた。

 

学校教育や職場の研修などで、防災に限らず、経済格差やジェンダー、多様性などさまざまなことへの学びの方法としてゲームを取り入れたワークショップが広く導入されつつある。僕が学生だった頃の学びはもっぱら書かれた知識を覚えることに重きがおかれていたように思うのだが、その頃の学びと比べ、今の学びは言葉にならない、経験的なことが重要視されているように思う。これは世の中が複雑になったからなのか、そもそも複雑だったことが明らかになったからなのか、複雑な問題だけが残っているからなのかは僕にはわからないが。。。

 

わかっているのは、HUGで体験したように、目の前にある複雑な課題に対して、僕たちはその場で考え、議論し、とりあえずの答えを導き出して対応していかなければいけないということだ。しかしHUGで感じたように、このとりあえずは、放っておくと絡み合ってとりあえずではなくなってしまう。誰かがしがらみを解きほぐし、リセットし、全体最適と根本解決を目指さなければいけない。僕はアカデミアに求められる使命の一つなのではないかと思う。