塩瀬隆之
(京都大学総合博物館)

 

2022年6月18日、京都大学は創立125周年を迎えました。125年前からこの吉田キャンパスに京都大学が創立されたまま移転もしていないことから、創立時の理工科大学、法科大学、医科大学、文科大学にまつわる資料もその姿をかえずに今に受け継がれているものがあります。膨大な数の学術分野に関わる教育研究がこの地で、125年間弛まず探究されてきましたが、創立125周年特別展示のなかで紹介した膨大な標本、資料のうち、計算機科学や情報科学に関わる資料もいくつかあります。その一つ、情報処理技術遺産としても登録されているKDC- I(京都大学デジタルコンピュータ)を紹介させてください。

 

KDC-Iは京都大学と日立製作所が共同開発し、昭和35(1960)年に完成した電子計算機です。技術設計には当時博士課程院生であった京都大学の矢島修三氏が、日立製作所の工場に長期間出向して担当し、我が国大学向けとしては最初のゲルマニウムトランジスタ計算機が生まれます。クロック数は230KHz、浮動小数点演算が実行可能で、磁気ドラムに加え磁気コアマトリックス、磁気テープ装置も備えた計算機となります。昭和36(1961)年1月に我が国初の大学計算センターが発足し、同年4月よりKDC-Iによる全学サービスが開始、そこから約15年間京都大学内において共同利用されたそうです。京大独自開発のマシンであったため、京都大学が独自に保守を担当する必要がありました。自ら創り、自ら使い、自ら保守するという、何もかも自前の象徴的な存在でもあったのかもしれません。貴重な資料であることは言わずもがな、残された関連資料も興味深いものがあります。たとえばKDC-Iの利用者マニュアルをめくると、章別執筆者の外に“査読者”という気になる言葉があります。「マニュアルに査読者?」という素直な疑問が浮かびますが、まるで論文のような精度で内容を精査するほどに、大学初のトランジスタ計算機の利用方法を精緻に説明する必要があったものとも解釈できます。さらに査読者に名を連ねる大先生のお名前を見つける限り、電気情報通信関係の研究者の多くは背筋を伸ばしてしまうほどの大御所の名前が見つかります。他方、利用者名簿にも湯川秀樹先生、福井謙一先生ら、当時の科学技術分野を代表する大先生のお名前を多数発見することができます。当時に大学生、大学院生時代を過ごした名誉教授からは、「電子計算機室だけ他の研究室とはちがってガンガンに冷房が効いていた。計算結果を待つまでの間、凍えそうになりながら待機していたよ」といった生々しい声も聞こえてきます。企画展示では、タブレットを使って当時のKDC-I完成時の様子や稼働状況を収録した貴重な映像展示も多くの来館者の関心を集めていました。

 

この展示資料を準備しながら、ふと頭に浮かんだことがあります。このようにコンピュータ黎明期の演算装置やパンチカード、キーボードなど、当時のインタフェースの様子を知ることができる技術史資料が幸いにも残されています。しかし、今から50年、100年と経った時、今の時代のインタフェース研究やインタラクション研究の成果を、私たちはどのように博物館で展示し、体験すればよいのでしょうか。すべてがタッチディスプレイやタブレットの画面の中、動かなくなった液晶画面だけが後の技術史遺産となるのでしょうか。ボーンデジタルとして、デジタル空間で生まれ、デジタル空間で消費された研究の痕跡を私たちはどのように体験することができるのでしょうか。皆さんの身近にあるもので、50年後に博物館におさまっていて欲しい資料があればぜひ教えてください。

 

我が国大学向け最初のトランジスタ計算機KDC-I

KDC-Iの利用マニュアルの表紙とテープが意匠の裏表紙

マニュアルなのに査読者が章別に割り振られ思わず背骨がピンとなる